スタッフ・谷口的 イベント開催のキモシリーズ。
恐らく最終回。ファシリテーション編でございます。
ただいま谷口はファシリテーションを目下修行中。
修行中に見えてきた大切なこと、言葉たちをまとめたいと思います。
ファシリテーション…とは?
実は場のデザイン編でファシリテーター…とは?と書いています。
で、以下のことを書きました。
ん?ファシリテーター?促進者…?とハテナの浮かんだ方。 Wikipediaよると、ファシリテーターの役割が5点ほどにまとめられています。
何か堅い感じですが、谷口的にゆ〜るく言うと、参加者が居心地の良い時間を過ごせるように注視・尽力しますよ〜ということです。参加者の反応や起きたことに身を委ねるためには、今何が起きているのかに目を配り、耳を澄ませる必要があります。この役割は、本当に重要なのです。 |
私がファシリテーターの立場としているとき「管理」「援助者」「インストラクター」はしません!(断言)
じゃあなんで、なんでブログ内それらの言葉があるねん!というと…熱く語ってしまいそうだったとともに、ファシリテーター像は人それぞれ。私には必要なくても、必要なファシリテーターさんもいるのではと思って、それらの言葉を残しました。
話しを戻すと、私自身が何を大切にしているかというと
「場を共に作っている人たちが、それぞれが主体的に、それぞれが自分らしく過ごせる場づくり」ということです。
この3つの言葉はそのスタンスにそぐわないのです。
なぜなら管理も援助もインストラクターも、それらの言葉がもつニュアンスとして上からの目線と場を掌握できる力が見え隠れするからです。「主体的」「自分らしく」ということを大切にする場合、「力」が生まれたときに共に作っている人が感情や意見を抑圧する場合がほとんどです。
私が大切にしていることを念頭に置いたとき、どういったファシリテーターになるかというと「あくまで共に作る一参加者として観察をしたり、参加者のなかに何らかしらの抑圧や力が生まれたときにちょちょいとちょっかいを出す人」という感じなのです。
観察をするとは…?
この観察が難しいのです!本当に!
単純に実際に場に起きている行動や、反応、タイミングを見るだけのこと。
なのですが、普段どれほど勝手に自分の経験値からはじきだした「こうだ!」という判断で物事を見ているのかを徹底的に観察をすると実感します。
以前こんなことがありました。
一参加者としてある場にいたとき、私はたまたま腕組みをしていました。
腕組みの仕草は心理学的に「拒否」ということを表しているということが知られています。
しかし、勝手に腕組みの仕草だけで、相手に「拒否」だと勝手に判断された私はちょこっと怒りました。実はそのとき「観察・考えていた」のです。何を観察し、何を考えていたかというと、自分の生まれた感情は何なのか、場に何が起きているのか、この両者を観察・考えていたのです。それを腕組み一つの行動だけで「勝手に判断」されると……何だか悲しくなりました。ちゃんと見て欲しいな、気になるのならぜひ聞いて欲しいなと思った出来事です。
ちょちょいとちょっかいを出す(介入する)とは…?
介入にも手法も、意図も色々あります。
[どういった意図?] ・それぞれの人に起きていることにフォーカスする ・今、場に起きていることにフォーカスをする ・話しが滞っているときの助け舟 ・ファシリテーターとして「こういうことかな?」と思ったときに実際に起きているのか確かめる ・事務連絡など [どういった手法?] |
人が違えば、相手に伝わる言葉が違う。
言葉が違えば、起きることが違う。
自分自身が見えている世界は、相手が見えている世界とは違う。
ちょっかいの出し方は千差万別。
正解はありませんので、私自身も毎回迷いながら探っています。
自分も大切に、相手も大切に
重ねてになりますが自分自身が見えている世界は、相手が見えている世界とは違います。
自分の立ち位置…だけでなく、自分自身が辿ってきた歴史や今の感情など、様々なことが積み重なり、今自分自身が見えている世界を形成します。
どこをフォーカスするのか。
何が気になったのか。
どんな感情が生まれているのか。
本当に人それぞれです。それぞれに起きていることを本当に歓迎した先に、自分の想定した世界を超える素敵な世界が待っていると私は思っています。
最後に……。
「想定内の世界のどこが面白い?想定もしていなかった世界こそが面白い!」